この項目ほど日本において理解されていないものはないようです。先ず、日本の英語 界で「仮定法」として知られているこの文法用語の英語の正式呼称が "Subjunctive Mood"であり、フランス語(Subjunctif)やドイツ語の文法(Subjunktiv)では「接続法」という 用語に訳されているということです。英語を専門しているほとんどの人々も、大学の第二外国語を学んでいるはずであるにもかかわらず、このことに気がつく人は非常に少ないのです。「私は英語専攻だから、他の外国語は関係ない。」という態度も結構ですが、"Subjunctive Mood"がフランス語の文法では「接続法」であり、英語では「仮定法」であるということに対して何も感じないのが不思議でならないのです。寺の中に神社があっても何も矛盾を感じない民族性は時として何事にも動じない大らかさとなって表れますが、理論的な作業には全く不向きと言わざるを得ません。
ここで、誤解してはならないのは、フランス語やドイツ語の文法では「接続法」という用語を使っているからといって、「仮定法」という用語を廃止して「接続法」という用語を採用すべきだという結論を出すこともまた、好ましくないということです。「接続法」という言葉の方が「仮定法」という言葉よりもはるかに意味が不明であるからです。"Subjunctive Mood"という英語を「仮定法」と訳した私たちの先達のほうが「接続法」と訳した人達よりもはるかに Subjunctive Moodの機能を考慮しているのです。つまり、「仮定する場合によく使われるverbの形態」という意味で「仮定法」と名付けたのでしょう。注意しておきたいことは、「過去のことを述べるときによく使われるverbの形態」という意味で「過去形」と名付けられたものが、過去以外の場合にも使われたり(仮定法過去)、過去のことでも過去形が使われない場合が存在する場合があるように、仮定しない場合でも「仮定法」が使われるのです。
"Sunjunctive Mood"について理解するためには、「接続法」というもう一つの訳語を知ることによって解決できるものではありません。従って、本書では従来通り「仮定法」という訳語を使用します。
《仮定法の位置づけ》
どの言語でも同じですが、文というものは物と物との客観的な関係の他に、感情も表す必要があります。そして、感情は次のようにして表されています。
| He insisted that I be in the office by 10. It is essential that you be informed of this. It requires that the temperature be kept at 50 degrees or lower. |
"verb"の原形不定詞が使われ、かつ直説法の観点からみれば「異常」であると思われるものを「仮定法現在」と呼んでいます。「_現在」という呼び方をする理由は定かでありませんが、恐らく、現在形と原形不定詞の形態が同じである場合が非常に多いからだと思われます。例えば、"I suggest you play tennis everyday." の場合の"play"は現在形であるのか、原形不定詞であるのかは分からないのです。原形不定詞であるということが分かるのは、"I suggest he play tennis."という文を見て初めてわかるのです。
理論的に言えば、He can play tennis.なども「仮定法現在」と呼んでもよいはずなのですが、この場合は「異常」と思われていないため「仮定法現在」とは呼ばれていません。
「三単現のS」を守ることを文法に忠実であることの同義語と思っているのではないかと疑いたくなるような英語教育者達は、"I suggest he play tennis everyday."のような文に出会うとよく次のような説明をしているのをよく見かけます。
| (It is time) you came home. |
この仮定法では直説法ならば現在形を使うような場合にverbの過去形が使われます。
"I wish she were here."における "were"を仮定法過去と呼んでいます。なぜ、"she is here"にならないかという理由は、"I wish"と言ったときの感情のレベルと同じレベルは "she is here"ではなく ”she was here"または "she were here"なのです。も ちろん、感情のレベルを同一センテンス内で統一しなければならない必然性は存在しないのですが、感情レベルを急に変化させるということは、一つの文の前半を敬語で表現し、後半を乱暴な言葉で表現するようなもので、このような場合はあまり多くありません。機械的にこのことを規則化しようとしたのが "sequence of tense" (=感情レベルの一致 )なのですが、これは日本では誤訳され「時制の一致」という用語で、その本質が全く理解されないまま(覚えることが精一杯で、その理由などには全く興味がないからだとは思いますが)「主節の動詞が過去形であれば従属節の動詞も過去形にする。」という機械的な規則として誤解されています。
学校文法は「仮定法過去」のことを「現在の事実に反することを述べる場合に使う言い方」のような説明をしていますが、これは日本語の「仮定」という語を国語辞書で引いたときの説明のようなもので、何も本質には触れていません。日本の学生で「仮定法」を理解している者が少ないのはこのような説明がなされているからです。多くの学生は「仮定法」を "if ....."の使い方と思ってしまっているのはこのような説明が原因なのです。「仮定法」とはverbの形態である(The subjunctive mood refers to the use of verbs .........)という基本が理解されていないのです。一光年とは距離なのか、時間なのかということが分かっていないのと同じです。
「もし〜ならば」という言い方を「仮定法」と誤解しているために、"Would you open the window?"が「仮定法」であることの説明として、「"Would you open the window if you didn't mind?" の "if you didn't mind"が省略されている。」という説明が多くの文法書で採用されているのです。"if you didn't mind"が省略されているという可能性が非常に高いことは確かですが、そのことが理由で "Would you open the window?"が「仮定法」と呼ばれるのではありません。この文が「仮定法過去」と呼ばれる理由は "will"で なく"would"という過去形が使われているからです。"Will you ..."にもう少し感情の注入の度合いを大きくすれば "Would you ...."になるということです。"Will you open the window if you don't mind?" のように "if 節をつけても、この文は「仮定法」の文とは呼ばれていないのです。因みに、"if you didn't mind"も「仮定法過去」です。
しかし、このような説明をするような人達は、ほとんど全ての英文は "if"節が省略されていると言ってもよいことに気が付かないのです。例えば
形態上、「仮定法過去」と「直説法過去」の見分けは全くつきません。このことは、 この二つはある観点に立てば同じであることを意味します。異なる二つのものとして区別されているということは、文法を研究する者が verbの用法を、「現在」や「過去」 という時間的な観点から分類しようとしたからです。セイコーの時計で見た時間もロレックスで見た時間が同じように、「直説法」で使われている過去形も「仮定法」で使われている過去形も実は同じなのです。何が同じかというと、感情のレベルが同じなのです。verb形態は「感情レベル」によって区分すれば、仮定法や直説法などという概念など導入する必要などなかったのです。それは、「男性」と「女性」で分類しないで、「青い服を着ている人」と「赤い服を着ている人」に分類してしまい、はじめのころは偶然に「男性=青い服を着ている人」、「女性=赤い服を着ている人」という「規則」がよく当てはまることもありますが、やがて、赤い服を着た男性や青い服を着た女性が多く存在することが分かったという情況によく似ているのです。元々、服の色などによって人間を分類しようとしたことが間違いであったのと同様、verbの形態を「時間」などで区別したことが、理論的には間違いであったということです。そして、「男のくせに赤い服を着ている」人が異常とされるように、「現在の事柄であるにもかかわらず、過去形を使う」ことがverbの異常な使い方、すなわち「仮定法過去」とみなされているわけです。
感情レベルは次のようになっています。
| 直説法 | 仮定法 | |
|---|---|---|
| He works. | 直説法現在(現在の事柄) | |
| He worked | 直説法過去(過去の事柄) | 仮定法過去(現在の事柄) |
| He had worked | 直説法過去完了(過去の過去の事柄) | 仮定法過去完了(過去の事柄) |
上の表から分かるように、「直説法過去」と「仮定法過去」は「感情レベル」が同じ で、その高さは「直説法現在」より1レベル上で、「直説法過去完了」や「仮定法過去完了」より1レベル低いということになります。では、一体何故、「直説法過去」と「仮定法過去」が同一の感情レベルになってしまうのでしょうか? 話し手が感情を注入しなければならない場合は、聞き手に想像力を強く働かせてもらう必要があります。例えば、目の前に見えている机を指差して、机を描写する場合などは、聞き手にほとんど想像力を要求する必要がないため、感情レベルの最も低いverb(=現在形)が使われます。ところが、「ここには以前、大きな花瓶があった。」(過去のこと)や「この机をアメリカ大陸とすれば。。。」(仮定する場合)等というような場合は、聞き手に想像力を要求するため、感情がより多く注入されるのです。つまり、感情の注入のレベルという観点に立てば、「直説法過去」も「仮定法過去」も同じものとして扱うことができるのです。過去の事柄を表す場合には過去形が使われるのは、過去のことについて述べる場合は、感情レベルが通常高くなるからで、過去であるから過去形が使われるのではありません。従って、過去の事柄であっても、感情レベルが高くならない場合もありますし、現在の事柄でも、感情レベルが高くなれば、過去形が使われる(仮定法過去)のです。そして、現在の事柄でも仮定法過去よりももっと感情レベルを上げることもできるのです。If he were alive, he would have been 84 years old today. などの文は現在の事柄を表している、「仮定法過去完了」です。多分、学校文法はこのような文が使われていることも知らないし、知ったとしても、無視するか、また例によって「アメリカ人は文法を知らない。」というパターンを繰り返すだけでしょう。
仮定法過去の代表的な例を上げておきます。
「仮定法過去完了」も他の仮定法と同じ原理が働いており、主に、過去のことについ て述べるときに使われるverbの形態です。英語には単一語による「過去完了形」というものは存在しません。「過去完了形」に関しても、学校文法では大いなる誤解をしていますが、まず「過去完了形」の「感情レベル」を確認しておきましょう。
次の文の下線部分の "verb"の用法を「仮定法未来」と呼んでいますが、これは "shall work"の「仮定法過去」と同じですが、"work"からみて,これを「仮定法未来」と呼んでいます。「仮定法未来」という「未来」の由来はよくわかりませんが、「仮定法 現在」、「仮定法過去」、「仮定法過去完了」の次は「未来」しか残っていなかったからでしょう。
"will work"、"can work"などの「仮定法過去」でなく、"shall work"だけが特別扱いされるのかということに疑問をもたれるかも知れません。その理由は次の二つの文の下線部分にあります。
1. の場合は "should"が倒置され、接続詞のように扱われています。(詳しくは、「倒置の原理」参照)
2. の場合は ”were to 〜" = "should 〜" という認識が生まれた結果、"were to〜"の文も「仮定法未来」と呼ばれています。その理由はを下に示します。
「仮定法」とは verbの「異常な」変化、もっと具体的に言うと、「時」や「主語の 人称」によって verb の形態が決まるという規則が当てはまらないケースのことでした。しかし、このようなケースは全て「仮定法」と呼ばれてるいわけではありません。英語学習の初期の段階で、このような「例外」は、「もう一つの新たな知識」として導入されるため、それが、規則に対する例外だということに気が付かないのです。その例を一つ挙げておきます。
これまで、verbの形態は感情のレベルで決まるものであり、「時」や主語の人称によ って決まるものではないということを再三繰り返してきました。しかし、このことは決して伝統的な英文法に反旗を翻したわけではありません。むしろ、原点に立ち返ろうとする大きな運動の一部なのです。私が自分でverbに対して感じとっていた「感情のレベル」という概念が正しいものであると確信したのは "Subjunctive Mood" の "Mood"という語で あり、「時制」という用語に誤訳(本当は親切に「意訳」された結果だったのですが)"tense"という語について考えたときです。"tense"という語は「時」と何も関係ないのです。この "tense"は "tension"や "intense"などに関係する言葉なのです。"Past Tense"という用語がありますが、これは「過去のことを表すときによく使われる tense(感情のレベル)」という意味で名付けられたもので、サラダオイルという呼称が「サラダをつくるときによく使われるオイル」という意味で使われているのと同じです。サラダをつくる場合は必ずサラダオイルを使わなければならないという意味ではないのです。つまり、過去のことを述べる場合は過去形を使わなければならないという意味でもないし、逆に過去形が使われているだけで、その文は過去のことを表しているとは限らないのです。
英米人に次のような英文を見せるとどのような反応をするでしょうか?。 これは同一文内で「感情のレベル」を変えることは難しいということを表した観察結果です。つまり、ある文が2つ以上の節から成っている場合、使われている verb の感情レベルが同一レベルになっているということです。例えば、次のように感情レベルを同一に保とうとしています。
| Had I known you before, I would not have done what I did. Should it fail, consult your local service agency. Were it not for your advice, I would surely fail. I asked did he go there. |
「仮定法」の冒頭で述べたように、感情レベルは「仮定法」のように語の変化となって現われる場合もありますが、語順の変化という形で表されることもあります。最もよく知られている例が、疑問文です。疑問文は感情レベルが高くなる場合が多いため、主語と助動詞が倒置されるものと考えられます。学校文法では、倒置をすれば疑問文になるという考え方をしていますが、倒置が行なわれていても疑問文でないものや、倒置が起こっていなくとも疑問文であるものが多く存在するため、その考えは間違っています。中学校の英語の先生方には申しわけありませんが、疑問文とは文末に"?"がついた文としか定義のし ようがないのです。英語を学び始めて数か月の子供達をガウス分布させなければならないため、難しいウソの規則である「疑問文の作り方」を子供達に押しつけ、それを覚えられない者を落伍者とし、覚えた者はそれをいつまでも真実と思い込んでいるため、本物の英文に対応できなくなってしまっているのです。疑問文が倒置されている場合が多いのは、疑問文は感情のレベルが高くなる場合が多いからです。
《疑問文以外の倒置》ある文の感情レベルを一定に保ちながら、倒置を行なうためには、その倒置によって増えた「感情のレベル」を何らかの形で差し引きしておく必要があります。英語では単語を欠落することによってこのことを行います。
つまり、"if"を取り去ったことによる感情レベルの低下を、主語と助動詞の倒置によって補っているのです。この場合、注意すべきことは "if"を落とすことによっても、「もし」という意味は無くなっていないことに注意してください。